温泉街アートフェス事例に学ぶ:観光客誘致と住民参加の両立
温泉街がアートで変わる:湯の町アートフェスの挑戦
日本各地には、古くから多くの人々に親しまれてきた温泉街があります。しかし、時代の移り変わりとともに、施設の老朽化、後継者不足、若い世代の流出、そして観光客ニーズの多様化といった課題に直面している地域も少なくありません。かつての賑わいを失いつつある温泉街にとって、地域活性化は喫緊の課題となっています。
こうした状況において、アートを活用した地域活性化への期待が高まっています。アートフェスティバルや滞在制作プロジェクトは、その地域ならではの資源や歴史、文化を掘り起こし、新たな魅力を創出する可能性を秘めています。今回は、ある温泉街で実施されたアートフェスティバル事例を取り上げ、その企画・運営プロセス、成果、課題、そして他の地域やアーティストが学べる点について詳しくご紹介します。
プロジェクトの背景と目的
本事例の舞台となった温泉街は、かつては湯治客で賑わいましたが、バブル崩壊後の団体旅行の減少や施設の老朽化により、厳しい状況に置かれていました。特に、古い旅館や商店の空き家が増加し、街全体に活気が失われつつあったのです。
こうした課題に対し、地元住民や旅館経営者、商工会などが危機感を持ち、「何とか街に再び賑わいを取り戻したい」「若い世代にも関心を持ってもらいたい」という強い思いが生まれました。そこで着目されたのが、アートの力でした。アートを通じて、街の歴史や文化を再認識し、景観を活かした魅力的な空間を創出することで、新たな観光客層(特に個人客や若い世代、ファミリー層)を誘致し、同時に地域住民自身が街の魅力に気づき、誇りを取り戻すことを目指したのです。プロジェクトの目的は、単なる観光客誘致だけでなく、「アートを媒介とした地域コミュニティの活性化」にも置かれていました。
企画・実施プロセス:多様な主体の連携
この温泉街アートフェスティバルは、主に以下の主体が連携して企画・実施されました。
- 実行委員会: 地元旅館組合、商工会、観光協会、NPO、自治体職員、有識者(アート関係者、大学教授など)によって構成されました。多様な意見を調整し、プロジェクト全体の方向性を決定する役割を担いました。
- アーティスト: 公募や推薦によって選ばれた国内外のアーティスト。温泉街をリサーチし、地域の歴史や文化、人々と交流しながら作品を制作しました。
- 地域住民: 空き家や旅館の一部を作家や展示スペースとして提供したり、ワークショップに参加したり、清掃活動や案内ボランティアとして協力したりしました。
- 自治体: 資金面での補助金交付や、関係各所との調整、広報活動をサポートしました。
- 企業: 地元の企業や、趣旨に賛同した外部企業が協賛という形で資金や物資を提供しました。
企画段階では、実行委員会が中心となり、アートディレクターを選定しました。アートディレクターは、温泉街の特性を理解し、どのようなコンセプトでアーティストを選び、作品を展開するかを具体的に計画しました。アーティストの選定にあたっては、地域との連携を重視する姿勢や、地域資源を活かした作品制作に関心を持つ作家が選ばれたと言います。
実施プロセスにおいては、温泉街の古い旅館の客室、宴会場、廊下、空き店舗、共同浴場の周辺、自然景観などを作品の展示・設置場所として活用しました。会場設営や作品設置には、地域住民やボランティアの協力が不可欠でした。特に、長年使われていなかった建物を活用する際には、清掃や改修、安全性の確保など、多くの労力と地域との調整が必要でした。
アート活動の内容と地域への影響
フェスティバルでは、インスタレーション、彫刻、絵画、映像、パフォーマンス、ワークショップなど、多岐にわたるアート作品やプログラムが展開されました。
例えば、
- 閉館した旅館の広間に、湯気をイメージした布を使ったインスタレーション作品が設置され、かつての賑わいを偲ばせると同時に幻想的な空間を創出しました。
- 源泉近くの場所に、温泉の成分や温度変化を視覚化するようなパブリックアートが設置され、日常見過ごされていた地域資源に新たな視点を与えました。
- 空き店舗では、アーティストが住民と交流しながら制作した絵画やオブジェが展示され、地域の内側から生まれるアートとして共感を呼びました。
- 週末には、地元食材を使ったマルシェや、アーティストによるワークショップが開催され、アート鑑賞だけでなく交流の場も提供されました。
これらのアート活動は、地域に様々な影響をもたらしました。まず、目に見える成果として、若い世代やアートに関心のある新たな層の観光客が増加しました。SNSでの情報拡散も活発に行われ、温泉街の認知度向上に繋がりました。経済効果としては、宿泊客や飲食店の利用が増加したほか、地元特産品の販売促進にも寄与しました。
さらに重要なのは、地域住民の内面的な変化です。アート作品やそれに触れる人々との交流を通じて、住民は自分たちの街の魅力や価値を再発見しました。「こんなに素敵な場所だったんだ」「この建物がアートでこんなに変わるなんて」といった声が多く聞かれ、街に対する誇りや愛着が深まりました。また、アートという共通のテーマを通じて、これまで交流の少なかった住民同士や、住民と移住者・来訪者との間に新たなコミュニケーションが生まれ、地域コミュニティの活性化に繋がりました。清掃活動やイベント運営に積極的に参加する住民が増えるなど、主体性の向上も見られました。
課題と乗り越え方、プロジェクトから得られる学び
プロジェクト運営には、いくつかの課題も存在しました。
- 資金調達: 大規模なアートフェスティバルには多額の資金が必要です。行政からの補助金だけでは限界があり、企業協賛やクラウドファンディング、グッズ販売など、資金調達の多様化が必要でした。
- 地域住民の理解と合意形成: 初期段階では、「アートで本当に人が来るのか」「自分たちの生活にどう影響するのか」といった不安や疑問を持つ住民もいました。時間をかけた丁寧な説明会や個別訪問、実際に作品を見てもらう機会を作ることで、少しずつ理解と協力を得ていきました。住民が主体的に関われるワークショップやイベントを企画することも有効でした。
- 会場確保と管理: 空き家や私有地を会場として活用する際には、所有者との交渉や建物の安全管理、作品の保全など、複雑な調整が必要でした。
- 継続性の確保: 一過性のイベントに終わらせず、アートによる活性化を持続させるための仕組みづくりが課題となりました。
これらの課題に対し、実行委員会は根気強い対話と柔軟な対応で取り組みました。資金面では、成功事例を示すことで翌年以降の協賛を増やしたり、小規模でも継続可能な企画を並行して実施したりしました。住民との関係構築においては、アートを「外から来たもの」ではなく、「地域の中から生まれるもの」として位置づけ、住民が企画段階から参加できる仕組みを設けました。
この事例から、他の地域やアーティストが学べる点は多岐にわたります。
- 地域資源の見つけ方と活かし方: 温泉街という場所特有の景観、歴史、共同浴場、旅館、空き家など、地域に当たり前にあるものをアートの視点で見つめ直し、新たな価値を見出すことの重要性。
- 多様な主体の巻き込み方: 行政、企業、住民、アーティストなど、様々な立場の人々の目的や関心事を理解し、共通の目標に向かって協力体制を築くためのファシリテーション能力。
- 住民参加の促進: アート鑑賞者としてだけでなく、制作者や運営者として住民が関われる機会を作ることで、プロジェクトへの当事者意識を高め、持続的な活動の基盤を築く方法。
- 課題への対応力: 資金難、合意形成の困難さ、運営上のトラブルなど、予期せぬ課題が発生した際に、冷静に分析し、関係者と協力して解決策を見出す柔軟性。
アーティストの役割と貢献に焦点を当てる
このプロジェクトにおけるアーティストの役割は、単に作品を制作し展示するだけにとどまりませんでした。多くのアーティストは温泉街に一定期間滞在し、地域住民と積極的に交流しました。共に食事をしたり、温泉に入ったり、街を散策したりする中で、地域の歴史や人々の暮らし、抱える思いに耳を傾けました。
こうした丁寧なリサーチと地域との対話を通じて生まれた作品は、単に美しいだけでなく、その土地ならではの文脈や物語を含んでいました。住民は自分の知っている場所や出来事がアート作品として表現されることに感動し、親近感を持ちました。また、アーティストが実施したワークショップは、住民が気軽にアートに触れ、自らも表現する楽しさを知る貴重な機会となりました。子どもから高齢者まで、多くの住民が笑顔で作品を作り出す光景が見られました。
アーティストはまた、外部の視点から地域の隠れた魅力や可能性を発見し、それを作品として提示することで、住民が日常見慣れて見過ごしていたものに光を当てる役割も果たしました。彼らの存在そのものが、地域に新しい風を吹き込み、住民に刺激を与えたと言えるでしょう。
結論:アートが拓く温泉街の未来
今回ご紹介した温泉街アートフェスティバルの事例は、アートが地域活性化の強力なツールとなり得ることを示しています。単に一時的な集客効果に留まらず、地域の資源を再発見し、住民の誇りを再生し、多様な主体間の新しい関係性を築く可能性を秘めています。
特に、地域に入り込み、住民と深く関わりながら作品を生み出すアーティストの存在は欠かせません。彼らの創造力と、地域への敬意を持った姿勢が、プロジェクトの成功を大きく左右すると言えるでしょう。
もちろん、地域アートプロジェクトは容易ではありません。資金、人材、住民合意など、多くの課題に直面します。しかし、本事例のように、関係者が粘り強く対話し、共に知恵を出し合い、アートの力を信じて取り組むことで、確実に地域に変化をもたらすことができるのです。この事例から得られる知見は、温泉街に限らず、様々な地域でアートを活用した活性化を目指す人々にとって、貴重なヒントとなるはずです。